先輩の引退…

 

2014年12月6日と7日。

この2日間でひとつ上の学年の先輩方の引退演奏会が行われた。

 

私は今までひとつ上とはどうも相性が悪く、というより相手から一方的に嫌われがちだったので苦手な存在だった。でもP会の先輩方はみんな素敵な先輩で、初めて仲良くさせていただいた人達だった。だから先輩方の引退はとても寂しかったのを今でも覚えている。

 

私の勝手なイメージだが先輩方は古典派というよりはロマン派が好きな人達多くて、たしかこの引退演もショパンなどが多かった気がする。

 

そして、この引退演は先輩が卒業すると同時に私の代が一番上となり後輩を引っ張っていくという意味もあった。私はインカレ生なので平会員。つかさは…副幹事長。まあ結構目立つこと好きな感じの奴で実際目立っていた何かしら幹部に携わるのかな~とは思っていたのだが見事に的中した。

 

引退演は主に次の代の副幹が中心となってアルバム制作や花などのプレゼントの管理などを行っているので、当然つかさともう一人の女子りこ(仮名)が中心になって動いていた。

 

この2日間も私は相変わらずつかさをずっと見ていたのだが(ストーカー行為はしていません)どこか様子がおかしかった。なんだか元気がなくてすごく無理しているように見えた。…こういうのをすぐに察知してしまうあたり私はすっかり奴にハメられてしまったんだなあと改めて思った。とりあえずできるサポートはしようと思い、副幹があたふたしている時は手伝ったりもした。

 

打ち上げの頃には完全に疲れ切っていたのでさすがに心配になった私は二次会の時声をかけた。

 

「つかさくん無理してない…?大丈夫?」

 

すると彼は笑った。

バレちゃったの?みたいな感じの笑い方だった。

 

「俺頑張りすぎちゃったな~!!」

 

自分で言っちゃうんかいとは思ったけどやっぱり無理してたんだなと思った。

 

そんな中彼女あみは別につかさに気遣うことなく、むしろ先輩達の前でいちゃついていたり余計疲れさせることをしていた。いちゃついている時はなんとなくというか見たくなくて完全に視線をそらして他の人達と話をしながら気を紛らわした。

 

当たり前だけれどつかさの彼女はあみだし文化祭で妬かれて完全に目をつけられていたのであみの前ではつかさとあまり関わりすぎないようにしようと決めていた。でもつかさはそんなことお構いなしにこの日も私にぐいぐい近づいてきた。

せっかくの打ち上げでお酒を飲みたかったのだが女子の面倒な1週間が始まったばかりで私は毎月重症なのでお酒を控えていた。

 

つかさ「飲んでる??」

私「いや、今日は飲んでないんだ~」

つ「え、なんでなんで?」

私「ちょっとね~」

つ「なんで?なんで?」

 

ちっちゃい子みたいになんでを連発しながら私の肩に手を回しその手は私の髪の毛を撫でめちゃめちゃ顔を近づけてきた(完全にキスできる距離)

 

文字にするとめちゃめちゃ難しいがこいつには距離感というものが分かっているんだろうかと疑問に思うしとにかくめちゃめちゃ近かったし当然心臓はバクバクだった。

 

ついでにつかさが私に接近している数メートル先にあみがいました恐怖でしかない。

 

あみは別の先輩(つかさと仲良し)と話していたがこの時私達に気づいていたのか未だに謎である。

 

二次会はオールだったので解散の頃は次の日の早朝だった。

家に帰ったあと私はやっぱり心配だったのでつかさにLINEを送った。多分個人LINEを送ったのはこれが初めてだったのではないかと思う。とにかく無理はしないで私でよければ甘えてくれみたいなことを言った。

 

先輩の引退について浸るかと思いきやこんなドキドキの展開でした。

時すでに遅し

 

2014年11月16日。

 

この日は母校の文化祭に行って、そのあとサークルの同期と学年飲みがあった。

何気に参加者をチェックすると、その中にあみはおらず、つかさがいた。それが分かった時どこかでホッとしている自分がいた。

 

しかし集合時間になってもつかさは現れない。(まあいつもこいつが集合時間前に来たことあんまりないけど)

 

誰かが「ねえつかさは?」と聞くと学年幹事(のち幹事長)のあつしが「あいつ偏頭痛酷くなって来れないらしい」と言った。

 

そうなのか~~と無意識にちょっとがっかりしているとそろそろ移動するかーとなってる時に奴が来たのだ。

奴を見た瞬間胸が弾んだ。

 

…いやいやいや、まさか、ね。

 

居酒屋に着いてなんとなーく男女分かれて座ろうとしていて私も席につこうとすると隣につかさが来た。

 

「お疲れ~~っ」敬礼してきたので私も真似っこする。

 

でもこのあと一瞬つかさが消えた間に別の女子が隣に来たので笑、つかさは男子側に行くかと思いや私の向かいに座ってきた。

 

「俺さ~、今日かなちゃんに会うために来たから!」

 

…はああああああああっ!?!?!?!?!?

 

こいつみんなの前で何言ってんの!?そういうの言われ慣れてない私に何言っちゃってんの!?!?!?!

 

この時の私は「あ、ありがとう笑」しか言えませんでした…

 

その後は男女分かれて飲んでいたのだがお酒も入って盛り上がってきて男女混ざってきて私の隣にひらしょーというジャニヲタ男子がやって来た。

こいつがまたちょっと変わっている奴で、オチのない話を延々としてくるしやたらとジャニーズの話をして盛り上がらせようとする感じが嫌いだった。

 

ていうかとにかくしつこい。

 

私はかなり困っていた。ここから早く抜け出したい~~と思っているとめちゃくちゃタイミングよく別の男子(ゴリラ、めっちゃいい奴)が来て話題が変わってホッとしていた。でも隣に相変わらずひらしょーがいるので早くなんとかならないかなと思いつつ無理矢理ゴリラと盛り上がっていると突然つかさが私の隣にやって来た。

ひらしょーと私の間に入ってきた感じなのでまあ近い。めちゃめちゃ近い。男子と喋ることにはさすがに慣れていたけれどこいつは距離感というのをまるで考えないやつなので物理的にも距離が基本近いし物理的に距離が近いのはまだまだ慣れていないこじらせ女子だった。

 

なんだかんだつかさと話が盛り上がっていると話題は次の冬合宿のことになった。

 

「かなちゃんふゆが行く?」

「あ~…あれ迷ってたら締め切り過ぎちゃってたんだよね~…」

 

そう、私は行くか行くまいかなんとなく悩んでいたのだが締め切りが過ぎてしまい参加を諦めていた。

 

つかさ「なあゴリラゴリラ(ゴリラは合宿関連を受け持つ企画部の部長です)、ふゆがまだ参加できるっしょ??」

ゴリラ「うんできるできる」

つかさ「だって!」

私「どうしよう~…つかさくん行くの?」

つかさ「行く行く」

私「え、じゃあ…」

 

つかさ「俺が行くなら行くってなった??」(いたずら的笑顔)

 

何なのこの少女漫画みたいな発言は!!!!!!!

 

もうこの時の私「うん」って言いながら普通に照れ笑いでしたよ。

そしたらまた嬉しそうに笑っちゃってさ~~…この笑顔をずっと見ていたいなと思ってしまったんです。

 

この日私はつかさが好きだと認めざるをえなかった。

 

でも、つかさには1年半以上も付き合っている同期のあみという彼女がいて、好きと自覚したところでどうすることもできなかったのです。

 

結局、3年経った今もこの時の私はどうするべきだったのか分からない。好きという気持ちだけがどうしても回収できなかった。ただそれだけ。

予想通りの女

 

2014年11月1日。この土日が文化祭だった。私の出番は初日のこの日。

 

アカペラの練習も本番も楽しかった。

 

練習を重ねるにつれてつかさ(以前の記事で言ってなかったけど本名ではありません)とはどんどん仲良くなっていっている気がしていた。つかさは私が今までいいなと思った男子とは違うタイプだった。何かあるとかなちゃんかなちゃんと近寄ってくる犬みたいな男子で、面白いことを思いつくと必ず私に反応を求めてくるいわゆるかまちょな奴だった。当時の私には新鮮だったのを今でも覚えている。

 

練習はついていけない人もいてなかなか思ったようにいかず、本番一週間前くらいにつかさは私にパートを変えてくれないかと頼まれた。本番ギリギリではあったがコーラス部にいた経験のおかげもあってかその場ですぐにパートを覚えることができた。多分つかさはそれを見越して私にパート変えを提案したんだろうが。

 

本番直前待機している時、つかさは突然私に「かなちゃんのおかげでここまで来れたよ!ホントにありがとう」と急にみんなの前で絶賛してきた。

 

つかさは人前関係なく平気でこういうことを言える奴だった。私は純粋に嬉しかった。自分は必要とされていた人間だったんだなと思えた。

 

本番が終わりサークルのビラ配りシフトなどの業務もあったりして一休みしていて私が他の女子と喋っていた時、つかさがやってきて他の女子がどこ行くのと聞くとつかさはアカペラサークルを見に行くと言っていて私はただそうなんだとしか思っていなかったのだが、つかさは私に一緒に行く?と誘ってきたのだ。私もアカペラは興味があるものだったし単純に見に行きたくて一緒に見に行くことにした。

 

ところが会場前に着くとそこにはつかさの彼女あみがいたのである。

 

いやいやいや…これ私お邪魔なやつじゃないですか??????

 

あみも私を見た瞬間若干顔が曇ったし私も一瞬帰ろうかと思ったのだが、つかさはもう一人同期の男子を連れてきたしここで帰ると言ったらそれはそれでつかさがしつこいだろうなと思ったので、私はなるべくもう一人の同期の男子と話すようにしてなるべく2人の邪魔にならないようにしていた。

 

会場に入って、左から男子、私、あみ、つかさの順番で立って見ていた。アカペラはすごく綺麗で感動して、一曲目が終わった瞬間この感動を誰かと共有したい!と思った私はとっさにつかさの方を見てしまったのだが、幸か不幸かつかさも同時に私を見てきたのだ。

 

あみを挟んで。(ここ重要)

 

2人でやばいね!!と口パクで言い合い笑い合っていた。あみを挟んで。この地獄絵図のような状況、想像できるだろうか。

しかもそのあとアカペラを聞きながら何気なく横を見ていたらいつの間にか私の隣はあみでなくつかさになっていて私はなんで!?状態だった。

 

見終わって会場から出た後も、私はつかさとすっかり盛り上がっていて、完全に2人の世界になっていた。そんな2人をあみはずっと後ろで見ていたのだ。私はあみがすごく嫉妬深そうな女子ということをなんとなく感じ取っていたので大丈夫かなと思いつつ…でも楽しかったので気づかないふりをしてしまった。

 

階段を上っていると向かいからサークルの先輩が階段を下りてきていたのだが、私とつかさは話に夢中になっていたので全然気づいてなかった。

 

…なんで気づいたかお分かりだろうか?そう、あみだ。あみが突然聞いたこともないでかさの声で先輩を呼んで駆け寄ったのだ。あの声は今でも忘れらないくらいぞわっとした。そして軽く先輩と喋ったあとすぐさまつかさの横を陣取り、私と別れたのだが、、

 

翌日はうちのサークルの名物企画演奏会があったのだが、朝私が普通にあみにおはよ~と手を振ったのだが、あからさまに機嫌悪い顔で、軽く頭を下げただけだった。

 

これ文字化するとあんまり説得力ないけど本当に怖かったんだからな!!!!!

 

この態度を見て私はこの子はやはり重い系女子かと再確認し、あみがいる時につかさと関わるのはやめようと思ったのだが神様は意地悪だった…。

何かが…始まる…!?!?

 

2014年9月4日。

P会のみんなで納涼船に乗った。久々に浴衣を着た。

先輩はみんな綺麗だったし後輩もみんな可愛かった。

 

そしてっ…!!!!

 

男の浴衣…推せる…!!!!

 

やはり日本の男は学ランに浴衣に袴、これに尽きる。

 

そしてこの日から私はP会一筋になり、心はすっかり身軽だった。

 

こういうイベントの時に判明することがある。

それは「誰と誰が付き合っているか」だ。特に人目を気にせずいちゃつくカップルはすぐにバレる。そして私は一組同期のカップルを確認した。イベントが終わって解散になりみんなでだらだらしゃべっていると、あみの背後に1人の男が密着してきた。すると2人で仲良く帰っていった。

気になったのと、P会のカップル事情をまだよく分かっていなかったので私はそこにいた同期の女子にあの2人は付き合っているのかと聞いたところ、1年の時から付き合っているカップルだったことが分かった。

 

それが、あみとつかさだった。

 

この時、私は仲良しのカップルだな~なんてのんきに思っていた。

 

その後。9月28日。

この日の予定はボランティア演奏会、略してボラ演のはずだった。介護施設にボランティアでおもてなしをする演奏会だ。しかし、介護者の1人が赤痢にかかってしまい中止になってしまったため、参加者全員で池袋のとある所のバイキングに行った。

 

適当にばらけて座ったところに一緒にいたのが同期のりょこ(女)とパン君(男)(この2人カップル)、そしてつかさがいた。

他愛無い会話をしている中で、話題はゲームの話になり、当時つかさは携帯でハム太郎のゲーム(アドバンスのカセットだったやつ、りぼんちゃんと2人で協力してやるラブパワーみたいなのがあるやつ)をしていて、私も大好きだったのでその話ですっかり盛り上がった。ハム語の話でこんな笑ったのはいつぶりだろうと思った。テンションとノリが一緒だったつかさの印象は「面白い人」になっていた。

 

…おそらくこれがつかさ君とまともに話した最初の時。そしてここから確実に「何か」が始まっていて、つかさ君との縁が急に舞い降りてきたのか、文化祭でのP会名物、野外演奏のアカペラ枠で共に本番まで頑張っていくことになった。

怒涛の8月

 

2014年8月の前半は楽しかった。

 

8月1日にはP会の試験明け飲みで打ち上がり、4日にはエイター兼リア友とエイトレンジャー2を観に行った。相変わらずファンのためでしかない内容ではあったけれど、多分面白かった。(いつか話すと思うがエイトレンジャーを映画化したことは未だに納得がいっていない)でも主題歌はER2の方が圧倒的に好きだった。それは間違いない。ERはマジで好きじゃない。

 

7日からは2泊3日でP会の夏合宿があった。

海に行ったり、バーベキューをしたり、すいか割りをして、肝試しに参加して…

ピアノには一切触れずただただ遊びまくった。本当に楽しかった。この夏合宿で2つ学年が上の先輩とも話すことができ、私の中ではめちゃめちゃ大満足の夏合宿だった。ただ、この夏合宿があまりにも楽しかっただけに、この後待っていた軽音の夏合宿が憂鬱でしかなかったが。

 

そして夏合宿から帰ってきて急いで私は味の素スタジアムに向かった。

そう、9日は待ちに待った十祭!!

同じ錦戸担の子と参戦。その子のおかげでアリーナ席に入ることができた。

天気はあいにくの雨であったが、すごく最高な1日だった。久々に生で金髪のヨコを見ることができたし、他のメンバーもみんなビジュアルは最高だった。念願のイエローパンジーストリートを生バンドで聞くこともできた。

そして十祭は、私の大好きな気まずいコンビが溢れまくっているまさに私のためのイベントだった。シャッフルユニットで2人のkicyuを見た時は歓喜を通り越して大号泣だった。周りが引くくらい泣いていた。事前のアンケートでも気まずいコンビでのkicyuに投票したあげくコメントでは「なんでもいいので気まずいコンビが見たい」と書いたくらいだ。エイトレンジャーのコントでは亮ちゃんがすばるに片想いをしてしまうという私得でしかないシチュエーションだった。

最後のそれぞれのメンバーの挨拶には素直に感動したし、ヨコが泣いてしまった時はもらい泣きもした。この頃の私はまだまだ盲目で純粋なジャニヲタだったなと今振り返っても思う。

 

…さあ、楽しい記事はここまで。

この後は忌々しい軽音ライフである。10日はバンド練習。この日はまだよかった。

そして合宿前最後の練習のはずだった18日。この日は朝7時からの練習だった。一度起きたのだが、私はもうモチベーションがほとんどなかった。自分で組んだバンドなのは分かっていた。でもそんな責任から逃げ出したかった。たかがサークルのお遊びのコピーバンドでしかないのにそんながむしゃらに頑張る意味が分からなかった。自分勝手なのは百も承知で仮病を使ってしまった。

私はグループラインにメッセージを送った。もともと低血圧で貧血がちではあったのでそれを利用して、貧血で倒れてしまいそっちに向かえないようなことを送った。

 

しかし同期の女子(Dr.)から個人ラインで怒りのメッセージが来た。無責任なのではないかみたいなことだったと思う。みんなも怒っているよと。

その通りだ。何回も言っているが私がやっていることは自分勝手で無責任極まりない行為だ。これがもし仕事だったらとっくにクビだ。そんなの分かってやっていた。この私が。気が小さい私が。無責任なことをするのが嫌いな私が。周りから責任感あるよねとよく言われていたこの私が。そんな私がどんな気持ちでこんなことをしたのか、わがままだとは思いつつこの同期にだけは分かってほしかった。1年以上も一緒にいるのだから分かってくれるだろうと思っていた私の考えが甘かった。そんなの軽音に染まっている奴らが分かってくれるわけがなかったのだ。

とりあえず他のメンバーにも個人ラインで謝った。でも返ってきた返事は私が思っていたのと違った。大宮先輩はやはり怒っているんだなみたいな返事だったが、あとのメンバーは怒るどころかむしろ心配してくれた。

意味が分からなかった。何が本当なのか分からなくなってしまった。

 

実はこの時午後バイト先の先輩とディズニーで待ち合わせをしていたのだが人の目なんて気にせず号泣してしまった。先輩にも心配をかけて申し訳ないことをしてしまった。

 

今思い返してみても、この時の私は精神的に完全に弱っていたなと思う。でも私だったら、もし普段やらないような子が珍しいことをしてきたら、どうしたのかと心配するのが先だったと思うし、やっぱりここの軽音の奴らはみんな自分のことしか考えていないんだなと思う。

 

夏合宿の買い出しの日は、同期のドラム女子とは一言も話さなかった。多分向こうも話したくなかったと思うのだが、私も口を利きたくなかった。そんな気まずいまま迎えた夏合宿はびっくりするくらいつまらなかった。またしても胃が痛くなり初日の夜のバーベキューはずっと1人でベッドの中。でも誰も心配してくることは当然なかった。

夏合宿の間になんとか練習をし、軽音最後のライブはメンバー間でぎくしゃくしていた割にはまあまあよかった。他の人達からも好評をもらい、もうこれでいいやという感じだった。

 

そして夏合宿最終日。東京に戻ってきた私は当時の部長に辞めると告げた。

 

「そっか…分かった、お疲れ。」

 

そいつが言ってきたことはただこれだけだった。空笑いが出てきそうになった。

どおりで軽音が何一つ改善されないわけだった。

 

これまでに私の学年も何人も辞めていったし、上の学年でも辞めている人は結構いた。そしてその中で多かったのは、「兼サーをしていたが軽音をやめてもうひとつの方に専念する人」だった。私も当事者になって、辞めていった人たちがなぜ軽音を捨ててもう一つのサークルに専念するか分かった。簡単だ。

 

軽音なんかよりもう一つの方が何倍も楽しいから。

 

中高の部活みたいに本気でやっているサークルなんて、この軽音にいる奴らだけだと思う。P会もみんな楽しみながらピアノと向き合っている。あくまでも遊ぶのがメイン。それが大学サークルの醍醐味だと私は思う。だからこのクソ軽音みたいなサークルはごめんだった。

でも軽音に染まっている奴らはそんな根本的なことをまるで分っていないしまあある意味そいつらはそれが楽しいから染まっているんだろうが、辞める人に対して訳も聞かずただ返事をするだけじゃそりゃ何も改善されないわけだと納得した。

 

私は振り返ることなくその場を去った。すっきりした。こんなクソサークルに思い残すことなんて何一つなかった。

 

そして9月から、私はP会にどっぷり染まることになるのであった。

ようやく気づいた私の実態

 

2014年夏休み一発目。

 

結局私の胃は治らず20歳にして人生初めて胃カメラを飲むはめになった。

まず前日は夜9時以降何も食べれない。超お腹空く。

胃カメラを飲むためにまず意識が遠のく注射を打たれる。(もちろん病院が使っているものなので決してやばいものではない)その後麻酔を口に少しの間ためておくのだがこれが死ぬほどまずい。正直もう二度と味わいたくない。

 

はじめは口の中に管を胃の中まで突っ込むのだからそれはそれは緊張していたのだが、注射を打たれていたため実はこの時のことをあまり覚えていない。(ちょっと怖いけど)

入れた瞬間はおえっと一瞬なったが覚えているのはそれだけ。そして終わって立ち上がろうとすると自力で立てず、30分ベッドで寝かしてもらった。

 

…そして結果はあっという間だった。

幸い特に病気ということはなかった。ただ、初期段階ではあったが黒い斑点がぽつぽつあった。(私的に初期でこれ?っていうほど結構あった気がしたが)

 

それを見た先生に一言、

 

「うーん、これはストレスだね。」

 

…私そんなにストレスが溜まってたのか!?!?

こんな現実を突きつけられるまで全く気づいていなかった、いや、気づいていたのかもしれないけど大丈夫大丈夫と言い聞かせていたのかもしれない。

 

…だってすぐにストレスの原因が頭をよぎったからだ。

 

軽音。これしかねーだろ。

 

それともうひとつ、もう少し自分に目を向けよう、大切にしよう、そう思い、やっぱり軽音は辞めるべきだと確信した。このままだと私が壊れてしまう。

 

これを読んでいるたった1人でもいいので、もし自分のことにあまり気にかけていなかったり自分に過信しすぎていたら、少し自分に優しくなってあげてください。そして大切にしてください。私みたいに胃カメラを飲むはめになるまで自分を壊す必要なんてどこにもありません。頑張らないではじめから何もしないのはクズですが、自分の体を壊すまで追い込むのはただの馬鹿です。一瞬でも疲れてるかな?と頭によぎったら休むことが人生上手く生きていくコツなのかなとこの時思いました。

 

…とか偉そうに言いながらいまだに100%実現できていない奴がここにいますが。でもこれでもマシになりましたよきっと。

そして怒涛の8月が迫ってきます。

 

追伸:更新、大変遅くなったことお詫びいたします。今月ようやく暇になってきたのでだいぶ更新できると思います。

これは…まずい…

 

2014年7月下旬。

 

ここ最近ずっと胃が痛かった。

もともと胃が弱く痛くなりやすかったのでテスト前で緊張しているのかなと思っていた。それにしては何をしても治らなかった。薬を飲んでもなかなか治らない。どうしたんだろうと不安になりつつ、テスト前なので勉強しないわけにもいかず夜遅くまで勉強していた。

 

しかし、痛みは引くどころか日に日に増していった。

 

そして、テスト初日。

 

…これはあまりにも痛すぎる。

立っても座っても寝ても何しても痛い。というか立っているのが本当に辛かった。

 

そこで私は、まず履修要覧を見直した。

…そう、追試験を受ける条件だった。

 

不幸なことに1時限目から試験があったので、1時限目は出たのだが、あまりにも痛すぎて集中なんてできるわけがなく、問題文を読むので精一杯だった。

 

こりゃ単位落としたなと悟りながら教務課に向かい、この日の残りの追試験の申請を出し、胃腸科の病院に行った。

 

先生に診てもらうと、胃が張っていた。でも胃が痛むようなものを食べた記憶がなかった。

カルテに書きながら先生は口を開いた。

 

「2日後また来てください。それで治っていなかったら胃カメラやりましょう。」

 

…マジで!?!?!?!?!?

 

結果、私は薬を飲み続けたにも関わらず治ることはなく、胃カメラをのむことになった。

そして私がようやく胃の痛みから少し解放されたのは1週間後のことだった…。