怒涛の8月

 

2014年8月の前半は楽しかった。

 

8月1日にはP会の試験明け飲みで打ち上がり、4日にはエイター兼リア友とエイトレンジャー2を観に行った。相変わらずファンのためでしかない内容ではあったけれど、多分面白かった。(いつか話すと思うがエイトレンジャーを映画化したことは未だに納得がいっていない)でも主題歌はER2の方が圧倒的に好きだった。それは間違いない。ERはマジで好きじゃない。

 

7日からは2泊3日でP会の夏合宿があった。

海に行ったり、バーベキューをしたり、すいか割りをして、肝試しに参加して…

ピアノには一切触れずただただ遊びまくった。本当に楽しかった。この夏合宿で2つ学年が上の先輩とも話すことができ、私の中ではめちゃめちゃ大満足の夏合宿だった。ただ、この夏合宿があまりにも楽しかっただけに、この後待っていた軽音の夏合宿が憂鬱でしかなかったが。

 

そして夏合宿から帰ってきて急いで私は味の素スタジアムに向かった。

そう、9日は待ちに待った十祭!!

同じ錦戸担の子と参戦。その子のおかげでアリーナ席に入ることができた。

天気はあいにくの雨であったが、すごく最高な1日だった。久々に生で金髪のヨコを見ることができたし、他のメンバーもみんなビジュアルは最高だった。念願のイエローパンジーストリートを生バンドで聞くこともできた。

そして十祭は、私の大好きな気まずいコンビが溢れまくっているまさに私のためのイベントだった。シャッフルユニットで2人のkicyuを見た時は歓喜を通り越して大号泣だった。周りが引くくらい泣いていた。事前のアンケートでも気まずいコンビでのkicyuに投票したあげくコメントでは「なんでもいいので気まずいコンビが見たい」と書いたくらいだ。エイトレンジャーのコントでは亮ちゃんがすばるに片想いをしてしまうという私得でしかないシチュエーションだった。

最後のそれぞれのメンバーの挨拶には素直に感動したし、ヨコが泣いてしまった時はもらい泣きもした。この頃の私はまだまだ盲目で純粋なジャニヲタだったなと今振り返っても思う。

 

…さあ、楽しい記事はここまで。

この後は忌々しい軽音ライフである。10日はバンド練習。この日はまだよかった。

そして合宿前最後の練習のはずだった18日。この日は朝7時からの練習だった。一度起きたのだが、私はもうモチベーションがほとんどなかった。自分で組んだバンドなのは分かっていた。でもそんな責任から逃げ出したかった。たかがサークルのお遊びのコピーバンドでしかないのにそんながむしゃらに頑張る意味が分からなかった。自分勝手なのは百も承知で仮病を使ってしまった。

私はグループラインにメッセージを送った。もともと低血圧で貧血がちではあったのでそれを利用して、貧血で倒れてしまいそっちに向かえないようなことを送った。

 

しかし同期の女子(Dr.)から個人ラインで怒りのメッセージが来た。無責任なのではないかみたいなことだったと思う。みんなも怒っているよと。

その通りだ。何回も言っているが私がやっていることは自分勝手で無責任極まりない行為だ。これがもし仕事だったらとっくにクビだ。そんなの分かってやっていた。この私が。気が小さい私が。無責任なことをするのが嫌いな私が。周りから責任感あるよねとよく言われていたこの私が。そんな私がどんな気持ちでこんなことをしたのか、わがままだとは思いつつこの同期にだけは分かってほしかった。1年以上も一緒にいるのだから分かってくれるだろうと思っていた私の考えが甘かった。そんなの軽音に染まっている奴らが分かってくれるわけがなかったのだ。

とりあえず他のメンバーにも個人ラインで謝った。でも返ってきた返事は私が思っていたのと違った。大宮先輩はやはり怒っているんだなみたいな返事だったが、あとのメンバーは怒るどころかむしろ心配してくれた。

意味が分からなかった。何が本当なのか分からなくなってしまった。

 

実はこの時午後バイト先の先輩とディズニーで待ち合わせをしていたのだが人の目なんて気にせず号泣してしまった。先輩にも心配をかけて申し訳ないことをしてしまった。

 

今思い返してみても、この時の私は精神的に完全に弱っていたなと思う。でも私だったら、もし普段やらないような子が珍しいことをしてきたら、どうしたのかと心配するのが先だったと思うし、やっぱりここの軽音の奴らはみんな自分のことしか考えていないんだなと思う。

 

夏合宿の買い出しの日は、同期のドラム女子とは一言も話さなかった。多分向こうも話したくなかったと思うのだが、私も口を利きたくなかった。そんな気まずいまま迎えた夏合宿はびっくりするくらいつまらなかった。またしても胃が痛くなり初日の夜のバーベキューはずっと1人でベッドの中。でも誰も心配してくることは当然なかった。

夏合宿の間になんとか練習をし、軽音最後のライブはメンバー間でぎくしゃくしていた割にはまあまあよかった。他の人達からも好評をもらい、もうこれでいいやという感じだった。

 

そして夏合宿最終日。東京に戻ってきた私は当時の部長に辞めると告げた。

 

「そっか…分かった、お疲れ。」

 

そいつが言ってきたことはただこれだけだった。空笑いが出てきそうになった。

どおりで軽音が何一つ改善されないわけだった。

 

これまでに私の学年も何人も辞めていったし、上の学年でも辞めている人は結構いた。そしてその中で多かったのは、「兼サーをしていたが軽音をやめてもうひとつの方に専念する人」だった。私も当事者になって、辞めていった人たちがなぜ軽音を捨ててもう一つのサークルに専念するか分かった。簡単だ。

 

軽音なんかよりもう一つの方が何倍も楽しいから。

 

中高の部活みたいに本気でやっているサークルなんて、この軽音にいる奴らだけだと思う。P会もみんな楽しみながらピアノと向き合っている。あくまでも遊ぶのがメイン。それが大学サークルの醍醐味だと私は思う。だからこのクソ軽音みたいなサークルはごめんだった。

でも軽音に染まっている奴らはそんな根本的なことをまるで分っていないしまあある意味そいつらはそれが楽しいから染まっているんだろうが、辞める人に対して訳も聞かずただ返事をするだけじゃそりゃ何も改善されないわけだと納得した。

 

私は振り返ることなくその場を去った。すっきりした。こんなクソサークルに思い残すことなんて何一つなかった。

 

そして9月から、私はP会にどっぷり染まることになるのであった。